指宿国民休暇村の先がエコキャンプ場になっていますが、その先に知林ヶ島があります。 

3月から10月までの大潮または中潮の干潮時には砂洲が現れ、島に渡れます。

島は無人島ですが、散策路があります。 

 

休暇村のある背後の魚見岳とともに地形的に面白いところですが、歴史的には太平洋戦争時海軍の航空基地があり、特攻隊がここからも飛び立ちました。

知覧の航空隊が有名ですが、実は指宿にも航空基地があったのです。

慰霊碑がたっていますし、国民休暇村の館内には写真が展示がされています。

水上フロート(下駄ばき)を付けた飛行機が指宿海軍航空隊機の特色です。

 

今は縁結びの島として知林ヶ島は有名なのですが、こういう忘れてはいけない悲しい歴史があります。

 

確かに観光には馴染まないかもしれませんが、ぜひとも歴史教育に役立ててもらいたいと思いました。

19歳で特攻で亡くなった松永海軍少尉の遺書は泣かせます。

[参考]

 

 

 

 

遺書

私は今従容として皇国の礎となり、春爛漫の桜花と笑って散って征きます。

神州大和島根に生を享けて十九年、母上様伯母上様にご面倒をかけたばかりで

何の孝養もお努めも出来ずに征くのが何より心残りですが、

今悠久の大義に生きる血戦、特別攻撃隊の一人として沖縄の海に皇国の御楯と死んで征くならば

「武人の本望だ」と言って孝行の端に入れて下さると信じ、自分の心を慰めて居ります。

気まま坊主の篤雄も猛訓練の結果、やっとお役に立つ事が出来たのです。

日本男子として生まれ、最も働き甲斐のある搭乗員として國を襲う嵐の中の沖縄決戦場に

死んでいく栄誉、何の思い残す事がありませう。

澎湃と寄せ来る太平洋の荒波に醜敵の艦船幾百隻、必中必殺の巨弾を抱ける我が愛機は

必ずや敵艦を轟沈、沖縄の海に万朶の桜と開かせます。

さようならお母様伯母様、孝子ちゃん、健やかに育ち、心と共に私の後継者たることを誓って下さい。

決して泣いて下さるな、笑って下さい。

父の仇はきっと私がとって見せます。

 

辞世

悠久の大義に生きん若桜 只勇み征く沖縄の空

 

房姉さんに貰った桐の木は大事に育てて下さい。

家内皆様のご健闘を祈ります。

 

篤雄

 

海軍二等飛行兵曹 松永篤雄

昭和 2年 8月19日生 鹿児島県立川辺中学校

昭和18年10月 1日 鹿児島海軍航空隊入隊 第十三期海軍甲種飛行予科練習生

昭和19年 7月25日 天草海軍航空隊 第三十九期飛行術練習生(操縦専修)

昭和20年 6月25日 神風特別攻撃隊第十二航空戦隊二座水偵特攻隊

昭和20年 6月25日 沖縄海域の敵艦船に特攻突入戦死 任海軍少尉

 

 

関西甲飛十三期会HP/第三十三回 甲飛十三期殉國之碑慰霊例祭 朗読された遺書より 

http://www.asahi-net.or.jp/~UN3K-MN/kankou13-ireiisho18.htm