このブログではチェチェン紛争ととエネルギー問題をめぐるプーチン政権時代の問題を追いかけていました。

その最中、ロンドンで反体制運動の元工作員リトビネンコ氏が

放射性物質を服毒させて暗殺するというショッキングな事件が起きました。

それはドキュメンタリー映画化され一昨年のカンヌ映画祭では話題になりました。

その後自本でもユーロスペースで公開。

観に行きました。

その中で、同じくモスクワで暗殺されたジャーナリストが出てきます。

アンナ・ポリトコフスカヤといいます。彼女はプーチンを告発する本を書いています。

私たちには知りようもない、スパイ工作のほんとに深い闇があるようです。

【私の関連ブログ記事】

元スパイ殺害事件 :Snapshot

暗殺・リトビネンコ事件 (アンサツ・リトビネンコジケン) - 関心空間

カンヌ映画祭と元ロシアスパイ殺害事件(下)   - 発見の日々

【アンナ・ポリトコフスカヤの本】


プーチニズム
北オセチア学校占拠事件が起きたとき、対策本部が最優先したのは、プーチンの意向を知ることだった。人命よりもイデオロギー、それがロシアの現実だ。独裁制復活へ向かう国家によって自由な生活を奪われながらも、懸命に生きようとする市民に光を当てる。さらに踏み込んだ取材で、汚職まみれの司法、新興財閥の専横、軍の放埒ぶりを暴いた、ロシア人ジャーナリストによる意欲作。

ポリトコフスカヤ,アンナ(Политковская,Aнна)
ロシア人ジャーナリスト。1980年、国立モスクワ大学ジャーナリズム学科卒業。モスクワの新聞「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙評論員。1999年夏以来、チェチェンに通い、戦地に暮らす市民の声を伝えてきた。「ロシアの失われた良心」と評され、その活動に対して国際的な賞が数多く贈られている。フランス語版『チェチェン―ロシアの恥辱』(ロシアでは未刊行。未邦訳)は、2003年国際ルポルタージュ文学賞「ユリシーズ賞」を受賞。2002年、モスクワの劇場占拠事件では武装グループから指名され、交渉役を務めた。2004年、北オセチアの学校占拠事件の際、現地へ向かう機上で、何者かに毒を盛られ一時重態に。現在は執筆活動に復帰している

と上記の書籍データではなっていますが、下をみてください。


ロシアン・ダイアリー

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

ポリトコフスカヤが暗殺された時、「すべての民主主義的な、自立した報道に対する打撃だ」とゴルバチョフ元大統領は発言した。国際人権団体の賞を受け、国外でより高く評価されているジャーナリストだったが、「ロシア国内で出版されない本を書いても大した意味はない」と、あくまでも国民に向けて記事を書き続けた。度重なる脅迫に身の危険を感じつつも、最期の時まで、その筆鋒が衰えることはなかった。ポリトコフスカヤの目に映った、ロシアの姿とは。
【著者情報】(「BOOK」データベースより)

ポリトコフスカヤ,アンナ(Политковская,Анна)
1958‐2006年。ロシア人ジャーナリスト。1980年、国立モスクワ大学ジャーナリズム学科卒業。モスクワの新聞「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙評論員。1999年夏以来、チェチェンに通い、戦地に暮らす市民の声を伝えてきた。「ロシアの失われた良心」と評され、その活動に対して国際的な賞が数多く贈られている。2003年国際ルポルタージュ文学賞「ユリシーズ賞」を受賞。2002年、モスクワの劇場占拠事件では武装グループから指名され、交渉役を務めた。2004年、北オセチアの学校占拠事件の際、現地へ向かう機上で、何者かに毒を盛られ一次重態に。回復後,執筆活動を再開する。2006年10月7日、モスクワ市内の自宅アパートで、凶弾に倒れた

チェチェン紛争についても書いています。

チェチェンやめられない戦争
ポリトコフスカヤ,アンナ
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
チェチェン関連の報道は、実に限られている。ジャーナリストを対象とした度重なる誘拐、殺人に加え、煩瑣な手続きが外国報道陣を寄せつけないからだ。世界中から忘れ去られ、無法地帯と化したチェチェン。ロシア人女性ジャーナリストが命を賭けて拾い集めたのは、武装勢力の主張でもなく、ロシア軍のイデオロギーでもなく、誰にも止められない戦いに翻弄される市民たちの声だった。